ゴーヤーの摘芯を終えて

今年は2階のベランダで緑のカーテンを育てています。 あばしゴーヤーがかなり伸びてきました。 そろそろ摘芯の時だと思ってきましたが、昨日の夕方に行いました。

親蔓の先を摘もうと思って、近づいたら、手前の蔓がきゅーっと私の方に動きました。 脇芽の蔓でした。

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その瞬間、ゴーヤーに私の考えていることが伝わっていることが分かりました。

人間以上の知的生命体です。

今回の摘芯は、諏訪大社の御頭祭(おんとうさい)を思い出させました。

今でこそ、鹿の首を落とす神事は行われていませんが、生け贄を捧げる人の気持は同じだと思います。

首を落として神に祈る。

摘芯して、大きな脇芽も手で折りました。

どちらも水に浸けて様子を見ています。

私達人間も刈り入れ時を迎えているからこそ、こうして連日連夜撒かれているのでしょう。

聖書に書かれていた毒麦の話を思い出しました。 毒麦の種は撒かれてしまったのです。 「最後の最後の刈り入れの時まで、お待ちなさい。」というのが、神様の言葉だったように記憶しています。

最初は、ネットの外側にゴーヤーの葉が来るように親蔓をネットに絡ませようと考えていました。 ところが、一晩雨に打たれた後で葉に斑点が出ました。 親蔓の葉は大きくなりましたが、雨に打たれる度に斑点が増えます。

それと同時に、脇芽がぐんぐん伸びて、ネットの内側に蔓を張るようになりました。 陽射しは明るくなったし、気温も20度を超えるようになったので、ゴーヤーも勢いづきましたが、雨に打たれるのをとても嫌がっているのが分かります。

結局、雨に打たれて変色してしまった葉は切り落としました。 朝方、屋根の上は何やら撒かれた物で湿っていますが、何を撒かれているのか分かりませんから、仕方ありません。

今は、きれいな緑の葉が雨に打たれないように、ネットの内側に沿ってゴーヤーの蔓を這わせてゆこうと考えています。

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ゴーヤーだって生きているのです。 変な雨や霧に打たれたくない気持は、私と同じでしょう。 私の気持ちを読んだゴーヤーならば、ネットの内側に逃げようとするのは、当たり前だと思います。

みどりのカーテンを育てながら学んでいます。 相変わらずの空中散布と変な空ではありますが、ホトトギスの鳴く平和な日曜日です。

皆様も、ご機嫌よう。

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