ブロッコリーは諦めて

今朝は昨日よりも気温が少し下がって、屋根に霜が降りていました。

春とは言っても三寒四温の候です。 日没後の冷え込みはまだまだ厳しいので、2階のベランダのプランターや鉢物は日没前に透明マルチで覆っています。

東日本大震災から6年が過ぎました。

できる事しかしませんでした。 それ以上でも、それ以下でもありません。

自然災害も増えました。 多くの日本人が何らかの被災をしています。 みんな必死で生きているという気がします。

昨年は茎ブロッコリーのスティックセニョールの苗を買って育てました。 小さなプランターに植え付けたので、思うような収穫は出来ませんでした。 今年はブロッコリーは育てません。 育てる元氣も食べる気力も残っていません。

一昨年から昨年にかけて、千葉の伯母が採れ立てのスティックセニョールを何度も何度も山のように送ってくれました。  ご主人が畑で育てた茎ブロッコリーです。

当時は末期癌の伯父が近所で一人暮らしをしていました。 子どもの無い夫婦でした。 姪の私は伯父が倒れる度に一緒に救急車に乗りました。 入退院を繰り返す度に、市立病院の癌病棟に通いました。 検診にも付き添っていました。

昨年の2月に市立病院で看取りましたが、私の方が先に倒れないようにと、千葉の伯母は遠くから心配してくれました。 送ってもらったブロッコリーを全て食べ尽くして、私は生き延びることができました。

2011年、東日本大震災の年の2月に伯父が倒れました。 5年後の2016年の2月に伯父を看取りました。 今年の2月は伯父の屋敷の後始末をしていました。 

庭木の剪定や伐採は寒い冬の作業です。 伯父が倒れた6年前に比べると遙かに楽ではありますが、一周忌が終わった後も後片付けが続いています。

スティックセニョールを見ると、辛かった日々を思い出します。 泣かずに食べようと思った日々を思い出します。

今年は春菊や小松菜の種を蒔きます。 気分を変えたいときも、やっぱり緑です。 園芸療法なんですよね。 私にとっては。

生きるというのは死ぬ場所を選ぶことです。 何処かで踏みとどまるしか無い。 みんなそうだと思います。

相変わらずの気象操作です。 春のお彼岸も近づいてきましたが、祈ることが生きる事。

そう感じる日々です。

皆様もご自愛ください。

合掌。