2月のスティックセニョール

千葉の伯母が採れ立ての野菜を沢山送ってくれました。

ずっしりした白菜や聖護院大根、力強い人参はお鍋の具材になりました。 

収穫後、すぐに洗ってビニール袋に入れられた茎ブロッコリーのスティックセニョールも沢山届きました。 ブロッコリー好きの私は、一晩ですべて一人で食べきってしまいました。

蒸したブロッコリーを十勝の3種のチーズをかけてオーブントースターで焼きます。 トロリとしたところで、一気に爆食い。 写真を撮る時間はありません。

とにかく私の本能がブロッコリーの爆食いを要求しました。

実は、近所に住む一人暮らしの伯父が2月1日に他界しました。 一昨年の9月に胆管癌である事が分かってからは、入退院の繰り返し。 

子どものない夫婦でしたが、3年前に難病で他界した義理の伯母からは生前可愛がってもらいました。 義理の伯母は多才でしたが控え目で、お自宅の庭の枝垂れ梅のような女性でした。

千葉の伯母は子どもの無かった弟夫婦の事情を知っていたので、看病、葬式、あとごと等で疲れ切った妹と姪である私の身体を心配して畑の野菜をすぐに送ってくれたのです。

人参と聖護院大根はなます用でしたが、私は一気に食べてしまいたかったので、迷わず鍋にしました。

伯父と最初に救急車に乗ったのは、一昨年の9月でした。 全身黄疸ながらも一命を取り留めましたが、胆管癌が見つかりました。 余命半年から一年と言われました。 

一人暮らしなので施設時に入ってくれるように頼みましたが、頑として聞き入れず、自宅療養を決め込んだ伯父でした。 

胆汁を流すためにプラスチックのステントを入れて、その交換の度に入院してきましたが、メタリックステントを入れてからは感染症との戦いになりました。 

一昨年の9月から胆管癌の伯父とは深く関わってきましたから、次に癌になるとしたら私だったと思います。 

伯父を看取った後も明るく振る舞っていましたが、実は心身共に疲れ果てていました。 極度の頭痛と吐き気が止まりませんでした。 水を沢山飲んで睡眠時間を増やしたら、頭痛は治まりましたが、今度は血圧も体温も上がりません。

そんな最中に届いたのが、茎ブロッコリーのスティックセニョールでした。「癌の予防にブロッコリー。」と言いますが、そんな事は考えずに、「とにかく緑の塊を食べたい!」と思いました。 色に対する動物的な反応です。

千葉の伯母が送ってくれた畑から採れたスティックセニョールには適いませんが、私も野菜用のプランターでスティックセニョールを3本育てています。 ようやく小さな茎が出てきたので、今月は僅かながら収穫できました。

2階のベランダの小さなプランターの中でタネから育ててきたスティックセニョールは、まだまだ食べられるような状態ではありません。

3月20日は伯父の七七日は、ちょうど春分の日の日曜日です。 一番大変な時期は過ぎました。 これから少しずつ温かくなってきますから、防虫ネットをかけて我が家のスティックセニョールを育ててみようと思います。 4月には食べられるようになるでしょう。 

伯父と伯母
野菜に学ぶ
申の年。

皆様もどうぞご自愛ください。

合掌。